名古屋学院大学教授・日本キリスト教団牧師


梶原 寿


第2回目 ディビット・パトーティ氏の講演のの続きに入る前に 
昨日の3月20日イラク攻撃の前にとの訳者(梶原教授)の希望で2004年3月19日岩波書より日本語版が出版されました。

 

 

加えて 本書に登場するシンガーソングライターのクリスティナ オルセンさんが 
本書の出版記念コンサートの為に6月27日〜7月6日来日される予定です。詳しい事は決まり次第 お知らせいたします。
 
わたしの兄の死はわたしに、一緒に育った家族友人に関して一つの新しい洞察をもたらしました。その友人の名はジェイクとジャネットと言いました。彼らはユダヤ人で街角にジェイクス・レッド&ホワイトという雑貨店を営んでいました。わたしたち兄弟は子供の頃よくそこにキャンディーを買いに行きました。ジェイクとジャネットは、第二次大戦の時ドイツにおいてアウシュビッツ強制収容所を生き抜いた人たちです。彼らは今は引退して80代になっています。わたしの両親は町やスーパーでよく彼らに会います。


そのジャネットがあるとき母に、「テロがどんなものか知っていますよ」と言ったのです。それから彼女は自分がアウシュビッツにいたこと、ある日ガス室で殺されるために列に並ばされたことなどを、話してくれました。その列には彼女の母、父、兄弟姉妹全部が並んでいたそうです。ところが少女のジャネットは、ブロンドの髪の毛をしていたのでユダヤ人ではないだろうと、最後の瞬間に列から引き出されたのだそうです。突然列から引き離されて、家族全員がガス室に連れて行かれるのを見ていたそうです。彼女だけが生き残ったのです。50年経った今も、彼女はその光景を毎日思い出すということです。毎日彼女はなぜ自分だけが生きて、彼らは死んだのかと、考えるということです。戦争というものは、このように世代を越えて続く悪影響を残すのです。このようにして彼女はと母は、お互いの悲しみを通して新しい関係、新しい理解を持つようになりました。


 わたしの父は第二次大戦のとき第四海兵師団の兵士でした。彼は南太平洋を転戦しサイパン、テニアン、硫黄島等を占領しました。彼の部隊は最高に激しい戦闘でその75パーセントを失いました。この話は今日のこの集会にご出席の方々とも関係あることかもしれません。事実、父は原子爆弾が広島と長崎に落とされたときに、日本での地上戦の準備をしていたそうです。


今彼は80代後半の年齢になっています。そしてめったに戦争のことは話しません。彼はわたしに試練の様子とか旅行のことは話してくれますが、戦争自体については話してくれません。しかしある日のこと、彼は「レザーネック」(海兵隊員)という雑誌を読んでいました。それは第四海兵師団の雑誌で、そこに一人の夫を亡くした妻が、夫についての情報を求めている投書記事が載っていました。彼はずっと昔に戦死していました。そして多くの退役軍人が年を取って死んでいくので、彼女は夫についてのどんな情報でもよいから知りたいと、望んでいました。
 わたしは父が彼女に手紙を書いたことを知り、驚きました。父は彼女の夫のことを全く知りませんでした。直接一緒に軍にいたわけではありません。また彼の顔を見たこともありません。しかし彼女の夫の死体が、父が最初に見た死体だったのです。父は彼のジャケットの背中に書いてあった名前を見たのです。それは大きな文字で書いてありました。そして50年以上経っても父はまだその名前を覚えていたのです。コレが戦争の残す遺産−世代を越えた悪夢−というものです。わたしはこの話を聞いて、父はいったいまだまだ他にどんな悪夢を背負ってきたのだろうかと、思いました。


 わたしはアフガニスタンとイラクについて語るとき、このことを思います。今日これらの国の普通の人々に対して、いったいどのような悪夢をわたしたちは作り出してるのであろうか、彼らはこれから50年にわたってどんな思いを引き摺っていくのだろうかと。またいったいこれから10年、20年後に、そこの子供たちが成長していった時に、何が起こるのだろうかと。そしていったいどんな運命を彼らは、わたしの子供たちと分かち合うのだろうかと、考えます。


 わたしはわが軍隊のことも思います。彼らもテロと戦争の犠牲者なのです。わたしはオクラホマ・シティで爆破事件を起こした湾岸戦争の退役軍人ティモシ・マックベイのことを、思います。またメリーランド地方で一連の狙撃事件を起こした同じように湾岸戦争の退役軍人ジョン・モハメットのことを、思います。さらにアフガニスタンに駐留し、その後わたしが住んでるノース・カロライナに戻ってきた、特殊部隊の4人の兵士のことを、思います。彼らは4人とも自分の妻を殺しているのです。


 仏教修業僧のティク・ナト・ハーンは言っています。「われわれが若者を毎日殺しをするように訓練すると、その悪影響は深い。彼らは怒りを知ってしまい、その傷跡は長年にわたって残る。この種の傷は長く持続し、未来の世代に引き継がれて行く。この長期の影響がどれだけ多くの戦争の種を育てるかは、想像することもできない」と。


 その影響の一つは、わたしの過去との重要な連携が断ち切られるということです。わたしの兄が死んだときにわたしが一番思ったことは、食事のことでした。わたしの家庭では、食事はわたしたちがお互いを覚える機会になっています。こんな諺(ことわざ)があります。「家族が一緒になる唯一の時は、誕生日と結婚式と葬式の時である。」わたしたちはイタリア人ですから、そのような機会にはいつも食事を一緒にします。誕生日を食事で祝い、結婚式を食事で祝い、だれかが死ぬと食べたり飲んだりして悼むのです。


 それでわたしは兄が死んだとき、食事のことを考えました。わたしたちには伝統的なクリスマスディナーがありました。カトリックの伝統では、キリストを象徴する魚が出ます。またクラムソースとシュリンプカクテルとカキフライ、そしてタラの干肉を添えたパスタを食べます。わたしたちはこのご馳走を祖父の生まれた町に生えている栗の木で作ったボウルに載せて食べます。ホワイトワインも飲みます。それが家族にとって年中行事でした。ところが兄が死んでから、その行事が一人減ってしまったのです。わたしたちの記憶を分かち合い、祖父と結びつけてきた行事から一人少なくなってしまったのです。


 わたしが理解するようになったことは、誰かを殺すということは、ただ一人の人を殺すということに留まらないということです。それはその人の伝統を殺すということ、家族との連携を殺すことでもあります。つまりその人の両親と祖父母と曾祖父母まで殺してしまうということなのです。その人の過去との繋がりを断ち切ってしまい、また将来をも断ち切ってしまうということなのです。わたしの小さな子供たちはもはや決してわたしの兄を知ることはありません。わたしの両親は、彼らの一人の息子が自分たちが携えてきた伝統を引き継ぐことはなくなったと思いながら、やがて死んでいくのです。このように全ての死は、わたしたちの過去、現在、そして未来との繋がりを断ちきってしまいます。全ての死は世代を越えた悲劇であります。ですからわたしたち今生きている者たちは、それらの繋がりをもう一度作り直して行く、つまり新しい家族を作り出していく責任を負っているのです。
 

 

 

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